2017-10-22

宇宙間について・後編


句集『途中』の制御しがたい遠近&重量感覚は、身体を詠んだ句にも及んでいる。

澄む水に浮かんだままの主人公  松井真吾
吊革のなくて摑んだ夏の山  〃
生命線背中まで伸び秋終わる  〃

一句目は「主人公」が「浮かんだまま」というのが絶妙におぼつかない。二句目は摑んだものが大きすぎる。三句目は命の目盛りが伸びすぎだ。

で、措辞のリズムや、脱超越的な身体描写などが、やっぱり現代川柳っぽい。

そういえば自分は、現代川柳で割とよくある〈脱超越的身体〉を俳句に導入できないかしらと思い、仮に俳句における身体把握が人文学的だとするならば川柳のそれは工学的であり、ロマン主義に陥らずに身体を脱臼させる〈狂度〉が技法として行き渡っているといったメモや、普川素床さんの川柳における身体的〈狂度〉をめぐる放談や、福田若之さんの俳句を前田一石さんの川柳と比較して俳句的身体の非脱臼的傾向を述べた日記(これ、なぜか枕が関心を集めるようですが本題は中盤以降です)などを書いたことがあるのだけれど、松井さんの句集を読むと、川柳と俳句とを行き来するのはそう難しくないのかも、とちょっと胸がはずむ。

ところで松井さん、普川素床さんとは句会仲間らしい。普川さんと句会をするってどんな感じなのだろう? そこも宇宙間的文脈で大いに気になるところだ。

できたての虹からあふれだす達磨  松井真吾

♣ 参考リンク ♣
【みみず・ぶっくす42】川柳とその狂度
【連載放談】普川素床読解入門 小津夜景×柳本々々-第1回 また終わるために-
【連載放談】普川素床読解入門 小津夜景×柳本々々-第2回 ねえジョウ-
【連載放談】普川素床読解入門 小津夜景×柳本々々-第3回 いざ最悪の方へ-
【連載放談】普川素床読解入門 小津夜景×柳本々々-第4回 まだもぞもぞ-
【連載放談】普川素床読解入門 小津夜景×柳本々々-第5回 しあわせな日々-
〈世界〉の手前から フラワーズ・カンフー * 小津夜景日記

2017-10-21

宇宙間について・中編


きのうの「松井真吾さんの句から現代川柳を連想した」件。これは多分に感覚的な話(それゆえ言語化するのが億劫)なので詳細は省くけれど、たとえばこんな波長のもの。

初夢のあいだあいだのコマーシャル  松井真吾
涅槃図のトムはジェリーを追いかける  〃
秋の蚊の想定外のテレパシー    〃

一句目は「初夢」から入って「コマーシャル」に着地するという発想が素敵。「あいだあいだ」という繋ぎ方も、全体の音の張りもいい感じ。

二句目は季語がぴったり。トムとジェリーの図像を涅槃図に落とし込むといったアイデアは、現代アートにもなりそう。

三句目は「想定外の」がキモ。句が躍ってる。こういった、一歩間違うと説明オチになりかねない微妙な表現を、巧みに使いこなすことで生じる愉しさ。

あ、あとこの句集、異様な速度を詠んだ句が多すぎるところもヘン。

ひとり居の父雛壇を駆け登る  松井真吾
雨乞いの校長廊下を駆けてゆく  〃
お客様転落のため夏終わる    〃

こうした風景もまた、松井さんよる世界認識の、制御しがたい遠近&重量感覚から来ているのだろう。

2017-10-20

宇宙間について・前編



柳本々々さんが松井真吾さんの俳句を〈収拾のつかない空間〉と評している(続フシギな短詩164)が、これって松井さんその人の生きている場所をそのまま言い当てている、と思う。なぜそう思うかというと、少し前に松井さんとメールで話していたとき、スピカにわたしの書いた「国宝さん&重文さん」のエピソードに松井さんが触れて、

「よくわかります。わたしはビルやマンションにある『定礎』をずっとひとの名前だと思ってました。『あ、また定礎さんのビルだ!』と。」

とおっしゃったからだ(※この話、松井さんの了承を得て書いてます)。

だいたい松井さんは、話すたびに現実離れしたことを言う方だ。たとえば野球実況の「右中間に打った~!」というのを「宇宙間にボールが飛んでいったのだ」とずっと思っていて、今でもそう考える方がしっくりくるのだ、とか。そんなわけで、彼の句集『途中』にも、奇想天外な句がちらほら。


白魚を載せて気球の飛び立てり  松井真吾

極小としての「白魚」と極大(≒膨張物)としての気球。しかもそれが浮遊する。この取り合わせには作者の、制御しがたい遠近&重量感覚が現れている。あるいは、

いっせいに椅子の引かれる蜃気楼  松井真吾

「いっせいに」といった強力な一致団結が、しがない空中の「蜃気楼」として、どっと出現する光景。これも「宇宙間」的境涯の一景かも。

こういう系統の作品には、良い意味でのすっとぼけや、あるいは知的カマトトな感じの、いわゆる作者の才気が見え隠れするものが多い。ところが『途中』はそういった雰囲気とは無縁で、あくまで素直な手触りがある。そこが新鮮で、読んでいて疲れない。あと思ったのが、全体的にとても現代川柳的だということ。ここ、わたしにとって大変気になる特色です。

2017-10-03

詩的な生活を反映したワインの香り



長崎のひとやすみ書店から「新聞のインタビュー記事、活用しています」と写真をいただく。ありがとうございます。

ひとやすみ書店の前には、巨大な本の形をした看板が立っている。ご主人はその看板に、日替わりでオススメ本を立てかけ、またその本から引いた一節をチョークで板書する。レストランみたいだ。(この板書にまつわるご主人のプチ・エッセイが、こちらに掲載されています。)

♣️

最近、白居易についての論文を読んでいるのだけれど、中国語なのでわからないことがいっぱいある。

とりあえず、ざっと判断できればよい事柄についてはグーグル翻訳にかけてみる。すると例えば「心の幽霊で彼の飛翔を表現。それは韻。ザ・彼の取材は、詩的な生活を反映したワインの香りで満たされています。」といった感じの大変わかりやすい奇文と遭遇でき、白居易に対するイメージが逆しまにしっかりしてくる(ような気がする)。

他に参考になった奇文は、

「酔った郷のトークは、問題だが、音楽もまた瞬間だ。」
「酔った喜びは、酔って一緒に飛んで飛んで、翼の生えたアンディは、"音楽の宵の断食の時代の世代の詩歌"と、言った。」

酩酊、音楽、飛翔。これが白居易のキーワードとなる(らしい)。

2017-10-01

スピカ終了。



スピカの9月月間日記「かたちと暮らす」終了。原稿の締め切りはかなり前のことだったので、今あらためて言うのは妙な感じなのですが、とても楽しかったです。

そういえば、スピカにエログロのことを書いた日があったのですが、このストックホルム近代美術館は、水墨画コレクションが充実していました。

東洋美術の展示室に入ると、壁一面にスライド式の大きな展示ガラスが本の背表紙みたいに埋まっていて、それを自分で勝手に引き出して眺める風になっているんですよ。LPのジャケットをぱたぱたチェックするみたいに作品を漁ってゆけるのでとても便利。売店に八大山人の絵葉書がいっぱいあったのも、良かった。