2017-08-24

いまは読書よりも海が親しい



わたしの記憶違いでなければ、今福隆太にこういうタイトルのエッセイがあって、これを読んだのはたしか安原顕の『リテレール』創刊号だったのですが、本当にそう、そうだなって、今日も考えていました。

今福の書いていたことは一行も覚えていません。でもタイトルがすべてを語っているから、だいじょうぶです。

読書のすばらしい点は徹底的に孤独になれること。読書には、音楽を聴くときほどのヴァリエーションはなく、多かれ少なかれ一人になることを強いられます。映画のようにイマージュをもっていないから、真剣に没頭しなくてはなりません。

だから子供のころは、本にしがみつくように読書していました。

それが大きくなると、何かを得るための読書をおぼえて、最もひどい時は読んだ本の内容をすぐに他人に語る余裕すらあり、こういうのって読書しているとは言わないよなあ…と思っているうちに本を読むこと自体が怖くなってしまった。

で、これはわたしの場合「孤独になる勇気がなくなった」っていうのと同じ意味だったんですね。本の側からじっと見つめられるのが怖いの。本の中へ本気で入ってゆけない自分を意識するのがすごく怖かった。

そういうことって、ありませんか?

それで、このまま中途半端に本と関わりながら軌道修正するのは無理と悟ったときに学校も読書もすっぱり止めて、それから十年ほど海ばかり見ていました。そしたら、なんか、少しずつ元気になってきた。海が読書のことをいろいろと教えてくれたりして。本を読み始めるときは、その中をよごさないように気をつけて、とか。読書の孤独はじっさいに本を読んでいる間だけでなく、むしろ読み終えてそれについて考えている長い時間の方にあるんだよ、とか。そしてその長い時間というのは、わたしがその本のことをすっかり忘れてしまうくらいの、ほんとうにほんとうに長い時間なんだよ、とか。

海は、わたしにその〈ほんとうに長い時間〉を与えてくれる、とても素敵な空間なのでした。