2017-08-30

サイレンの音は、夢の中で荒野を渡る風に変わった。


詩客「短歌時評」に加藤治郎さんの新作「ヘイヘイ」の感想を寄稿しています。短歌について書くのはひさしぶりなので、とても楽しくリラックスして書きました。リラックスしすぎて、筆が作品を離れないようにするのが大変だったくらい。

それはそうと、作品評を書いている最中、最初から最後まで思い出しっぱなしだったのは、

サイレンの音は、夢の中で荒野を渡る風に変わった。

といった秋山晶のコピーが有名なパイオニアのカーステレオ「ロンサム・カーボーイ」のCM。これ、片岡義男がナレーションを担当していたんですよね。小さかったわたしは「100マイルを過ぎると、風の音だけでは寂しすぎる」のヴァージョンは見た記憶がないのですけれど、ユーチューブを調べたら、どうも10ヴァージョンくらい存在したようす。

でもほんと加藤さんの短歌って、ある角度からみると片岡義男に似ていると思いませんか? そう思うのはわたしだけ? それともすでに論文があるのかしら? ともあれ今回の「ヘイヘイ」は冒頭三首で「おおっ!」と興奮させられるし、ライ・クーダーが頭の中で鳴りつづけるしで、とても困りました。

2017-08-27

セキララに。



現在発売中の『俳句』9月号「男のドラマ・女のドラマ」にエッセイを寄稿しています。

この連載エッセイ、編集部から指定されたテーマというのがあって、
♣背景にドラマを感じる異性俳人(故人)の一句を挙げる。
♣その一句を鑑賞しつつ、自分の人生の転機となったような大きな出来事をセキララに語る。
の2つがその大枠。それゆえ素直に、誰にもしたことのない恥ずかしい話を書きました。あと引用句なのですが、圧倒的なドラマ性という観点からみて、これを超える作品はこの世に存在しないんじゃないかな…って思ってます。

2017-08-25

ケイマフリとエトピリカ


さいきん北海道に縁のある方とお話する機会があって、思わず調子にのって海鳥のことを語ってしまいました。

北海道の鳥というと、シマエナガやタンチョウあたりが愛されているのでしょうか? どうなんでしょう? いずれにせよ、海鳥愛好家の人というのはあまりいないと思うんですよ。理由はだいたい想像できて、海鳥がごはんを食べているシーンってやっぱり正直「うっ…」といった感じですから。しかたがないです。はい。

で、しかたがないと言いつつ、その方に紹介したのがケイマフリ。こんなすがたをしています(写真はwikiより)。


あと、わたしの育った地域にいるエトピリカ。エトピリカはこちらに画像がいっぱいあるので、海鳥に興味のある方は、いやない方も、ぜひともご覧いただきたく。


そういえば、タンチョウとは高校生の頃、コンビニの前で遭遇したことがあります。その手の場所で遭遇すると迫力があってすごいですよ…と書きたいところですがさにあらず、とても場慣れした顔つきをしていました。鶴というのは然るべきシチュエーションで眺めると最高に神秘的な反面、海鳥では決してありえないようなドメスティックな印象を与えることも多いです。

2017-08-24

いまは読書よりも海が親しい



わたしの記憶違いでなければ、今福隆太にこういうタイトルのエッセイがあって、これを読んだのはたしか安原顕の『リテレール』創刊号だったのですが、本当にそう、そうだなって、今日も考えていました。

今福の書いていたことは一行も覚えていません。でもタイトルがすべてを語っているから、だいじょうぶです。

読書のすばらしい点は徹底的に孤独になれること。読書には、音楽を聴くときほどのヴァリエーションはなく、多かれ少なかれ一人になることを強いられます。映画のようにイマージュをもっていないから、真剣に没頭しなくてはなりません。

だから子供のころは、本にしがみつくように読書していました。

それが大きくなると、何かを得るための読書をおぼえて、最もひどい時は読んだ本の内容をすぐに他人に語る余裕すらあり、こういうのって読書しているとは言わないよなあ…と思っているうちに本を読むこと自体が怖くなってしまった。

で、これはわたしの場合「孤独になる勇気がなくなった」っていうのと同じ意味だったんですね。本の側からじっと見つめられるのが怖いの。本の中へ本気で入ってゆけない自分を意識するのがすごく怖かった。

そういうことって、ありませんか?

それで、このまま中途半端に本と関わりながら軌道修正するのは無理と悟ったときに学校も読書もすっぱり止めて、それから十年ほど海ばかり見ていました。そしたら、なんか、少しずつ元気になってきた。海が読書のことをいろいろと教えてくれたりして。本を読み始めるときは、その中をよごさないように気をつけて、とか。読書の孤独はじっさいに本を読んでいる間だけでなく、むしろ読み終えてそれについて考えている長い時間の方にあるんだよ、とか。そしてその長い時間というのは、わたしがその本のことをすっかり忘れてしまうくらいの、ほんとうにほんとうに長い時間なんだよ、とか。

海は、わたしにその〈ほんとうに長い時間〉を与えてくれる、とても素敵な空間なのでした。

2017-08-21

雨の日製作所、について。



この、まるで小説の中に出てきそうな名前の空間のことは、もっと早くに書きたかったのですが、思いのほか時間がとれず。夏休みはルーティンが少ない分、時間の使い方が漠然とします。

さて、雨の日製作所は奈良市にあるアトリエ&ショップ。毎月初めの3日間は「晴れの日販売所」というイベントもしています。イベントの内容は、だいたいこんな感じ。毎月コンセプトが違うようです。

で、ですね。このアトリエを運営するお一人であるneniqri氏は、月一度こちらでブック・ショップを開いていまして、なんと『フラカン』をお取り扱いくださっているんですよ。ものづくりをする方たちの作品にかこまれて、とても幸せな本です。


今月のオープンは23日(水)の12時から19時まで。製作所の場所は、奈良市芝辻町4丁目6-16セイシェルビル2F(新大宮駅徒歩2分。公園に面した、赤茶色の5階建てタイルの建物)。興味をもたれた方は、下の参考記事もどうぞ。どの記事も、写真がすごく丁寧です。

文字を覚える



平仮名は、それを覚えるとすぐ実践的に使えるといった意味で、とても便利な表音体系だ。

子供はその習得と同時に「りんご」や「でんしゃ」などの単語や短文を一人で読むようになる(つまり「孤独な読書」といった知的作業へ移行することができる)。漢字を覚える段階に入っても、大抵の子供の本にはふりがながついているので、漢字/発音/意味の関係はきわめてクリア。独習可能だ。

一方アルファベットは、それを覚えたところでたった一個の単語すら読むことができない。フランス語を例にとるならpommeはポム、trainはトランと読まなければならず、アルファベットをそのまま順に発音しても言葉に辿りつかないのだ。そんなわけでフランスの子供は、アルファベットの習得とは別に、数多くの基本単語をまずは〈文字の塊〉として一個ずつ暗記してゆく必要があり、またそれには第三者の助けが不可欠となる。

ちなみにフランスの義務教育では、漢字の部首理解に相当する、単語の語源(例:passeportはpasser+portの複合語で「港を通過する」が原意、等)ならびに接頭辞・接尾辞(例:「表現」expressionは「内から外へ」のex-と「押し出す」のpressionとに分割される、等)を学ぶカリキュラムがいつからか廃止されたらしく、その〈文字の塊〉が大きくなっても依然として素朴な塊のままという若い人がめずらしくない。

文字を覚える年齢における各人の生活環境が、日本語よりも切実な差異となって現れやすいのがアルファベットの社会ではないか、と感じた出来事がさいきんあったので、以上、メモ書き程度に。

2017-08-16

秋に読む扇



今朝、すっかり夏が終わってしまったとさみしく思いつつ、扇の歌を拾い読みする。この季節に読む扇って、どうしてこんなに良いんでしょう?

移香の身にしむばかりちぎるとて扇の風の行方たづねむ  藤原定家

手にならす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり  藤原良経

盛夏不銷雪  消えぬ雪 なつのさかりも
終年無盡風  尽きぬ風 ねてもさめても
引秋生手裏  てのうちに 秋をひきよせ
藏月入懷中  ふところに 月をしまひぬ

漢詩は和漢朗詠集にある白居易「白羽扇」の部分。扇の形が違うものの、これも好きなので試訳して一緒に並べてみた。

定家の歌は、扇に残っていた恋人の香もそっと旅立ってしまったよ、との趣向が秋にぴったり。逢瀬のこと以上に、別れたのちの夢遊感に情趣が置かれている。あと良経には「秋風のすみか」の他にも斬新な歌が多いが、自分は「冬の夢のおどろきはつる曙に春のうつつのまづ見ゆるかな」が超好きすぎて、プリントゴッコ(ってもう販売終了したんですね…)を使って、金文字のポストカードを大量に刷ったことも。写真はその現物。

追記。本日16日(水)の日経新聞夕刊にインタビューが掲載されるそうです。

2017-08-12

応募について、或いは俳句地方物産展。


現在「スピカ」で野口る理さんが連載中の「ほどける冠」に、小津のインタビューが掲載されています(前編後編)。

このインタビューでは「賞への応募」についてお話したのですが、応募そのものは賞にかぎらず、投句その他ざまざまな場面であること。普段そうした活動とは縁のない自分も、何かの拍子に周囲の方に勧められたりします。

例をあげると、最近佐藤文香さんが『天の川銀河発電所』という本をまとめました。これは68年以降に生まれた総勢54名の俳句作家によるアンソロジーで、わたしはこれに応募したんですね。

このときは正直、どうしようか悩みに悩みました。というのも、周囲に勧められたその時点で、締め切りまでたったの4日しかなかったから。あと「アンソロジーとは何か?」といった案件について、それまで一度も考えたことがなかったという問題も。

とはいえ「アンソロジーとは何か?」なんて数日で結論を出せるテーマじゃない。それで「出します」とは言ったもののすぐに無理だと悟り、一時は取り止めることに。結局、締め切り直前に応募することができたのは、

「ん? アンソロジー? あれはね、デパートの地方物産展に自分のブースを出すようなものだよ。」

という、ある方の名言を耳にしたから。

うーん。目からうろこ。つまりわたしはこのシンプルな一言のお陰で、今回のアンソロジーと自分との関わり方を発見したわけです。この一言がなかったら、色んなことを考え過ぎてしまってたぶん応募を逃したと思います。そしてまた、ほんと驚いてしまうんですけど、どうやら『天の川銀河発電所』はその方の言った通り、佐藤文香さんプランニングの俳句地方物産展っぽい雰囲気の本になったみたいです(何より収録人数が)。

最後になりますが、この物産展、わたしも晴れてブースを出しました。さらっとお立ち寄りいただけますと嬉しいです。

2017-08-11

砂時計の中には


ふらんす堂通信153号に作品「共寝の時間」とエッセイ「虹の脊柱」を寄稿しています。

カイロスとクロノス共寝すれば虹  小津夜景

ええと、このところ「虹の脊柱」について数人の方からほとんど同じ感想を頂いて(もちろん内容は秘密)、改めてじぶんの文章の特徴というのを考えていたのですが、基本わたしはものを書くとき、好きな人に話しかける気分でいるんですね。

エッセイでも、ブログでも、そこは全く変わらない。

死んでからでは後悔するので、生きているその人へ向けて日々たゆみなく話しかける。いちどでも会えたことに涙しながら。もういちど会いたいと願いながら。

人生という砂時計の砂が落ち果てる前に、いつも伝えそこねてしまうことを次こそは伝えようとして。

そして話しかけるたび、その砂時計の中にはまるで世界の非情を祝福するかのように、きらきらと無数の〈無〉が煌めいているということをわたしは理解するのでした。

砂時計のあれは砂ではありません無数の0がこぼれているのよ  杉﨑恒夫

2017-08-10

ダーガー似。



ヘンリー・ダーガーの絵は画集だと色のトーンがぺたっとしている上に紙の質感も失われていて、ファンとしては少々残念なのだけれど(あの内容が、とてつもなくフラジャイルな装いをもって完成している点が全く狂気なので)、きのうモナコで紫禁城にまつわる企画を見ていたら、生のダーガーを思わせる絵を見つけた。

と、書きつつ「いや、全然似てないよ」と言われるかもって、今ちょっと心配してる。

あのね、やわらかな色の乗りや、しなやかな群衆や、写生と空想とのアンバランスぐあいがダーガーを想起させたみたい。あともうひとつ、紫禁城での人生というのは究極の『非現実の王国』だよねって、会場を歩きながらふっと思ったので。そんなわけです。ごめんね、あんまり深くとらないで。ラヴ。

2017-08-09

カーのおはなし。



わたしはクラシック・カーどころか普通のカーも知らず、さらには免許も持っていないんですが、この手の愛好家というのは少なくないみたいで、周囲にも地元の大会に出場している人がいます。

へえ、どこのコースを走るの?と尋ねると、速さを競うのではなく「どれだけオリジナルの状態で保存しているか」を競い合うんだそう。つい先日の大会の副賞は、優勝が旅行券千ユーロ(約十二万円)で、準優勝がモナコグランプリの観戦チケット。

詳しく聞くと「うそ! チケットの方がレアじゃん!」と思うような話。とはいえこの手の大会に出て、なおかつこの近辺に住む人にとって、モナコグランプリ観戦は日常すぎるため感慨がないのかもしれません。豪華客船やホテルの部屋からコースを見下ろそうとすると異次元の値段になりますが、道端の席
(モナコのレースは公道を走る)なら水族館の入場料と同じくらいからあるそうなので。

春の夜の地図を灯して俺の車(カー)  西原天気

2017-08-05

休日のプレゼント


フランスの小学校低学年向け学習雑誌に『ジョルジュ』というのがありまして、わたしは一度も買ったことがないのですが、これが毎号違う趣向の、たいへんフランスらしいグッド・デザインのドリルなんです。で、最近友だちが「ル・アーヴル開港500年を記念して、この町のことを学べる無料版を配っていたよ」と、その雑誌を一冊くれました。


無料版だけあって、いつもよりかなり表紙が地味です。


画像では全くわからなくなってしまいましたが、ごわごわした再生紙にレトロ印刷っぽく色が乗っています。フランソワ1世はフランス・ルネサンス期を代表する国王。


こういうドリルで学ぶのは愉しそう。上はカッサンドル風ですね。カッサンドルのポスター〈NORMANDIE〉はル・アーヴル-ニューヨーク航路の豪華客船ですから、開港500年記念号雑誌のエピソードとしてふさわしいのでしょう。

ヒッピー・モダニズム



『フラカン』の三刷ができました。が少し変わっています。あと詩客に柳本々々さんが先日B&Bで行ったイベントのレポートを書いてくださっています。

それはそうとですね、初期のHAUS RUCKER COMPANYがツボなのに、近年《HIPPIE MODERNISM : THE STRUGGLE FOR UTOPIA》が刊行されていたことに全く気づいていなかったのは完全に抜かりました(自然派のヒッピー・ムーヴメントにはあまり興味がない)。

機械主義とモダニズムとをエロティシズムの次元でこじらせたような彼らのデザインが復興することはないんだろうなって思うと残念。あの時代の作品って、やっぱり泥団子系の手仕事感覚があるんですよね。

シュルレアリスム展みなあたたかし手のしごと  岡野泰輔

2017-08-01

備忘録(2017年1月〜)


週刊俳句1月1日号 新春対談「〈身体vs文体〉のバックドロップ」掲載。
北海道新聞文化欄(1月27日付) エッセイと作品「カモメの日の読書」寄稿。
週刊俳句1月29日号 小論「ことばの原型を思い出す午後 飯島章友の川柳における〈生命の風景〉について」寄稿。
週刊俳句2月5日号 連載【みみず・ぶっくすBOOKS】第14回 ジル・ブリュレ&宮本千安紀『はいくま』寄稿。
週刊俳句2月21日号 連載【みみず・ぶっくすBOOKS】リアル書店オープンのお知らせ。場所は大阪の居留守文庫。出品中の書影はこちらこちら
俳句3月号 作品10句「退屈を愛する人の音楽」寄稿。
朝日新聞文芸欄(3月8日付) 作品12句「胸にフォークを」寄稿。
週刊俳句4月16日号 作品10句「そらなる庭に ピエロ・デラ・フランチェスカによせて」寄稿。
週刊俳句4月30日号 リレーエッセイ【俳苑叢刊を読む】第14回「岩田潔『東風の枝』水平線と、雲と、そのほか。」寄稿。
5月3日『フラワーズ・カンフー』が第8回田中裕明賞を受賞(告知はこちら。特設サイトはこちら)。
5月4日文学フリマ東京にて『蒸しプリン会議春夏号』販売。
週刊俳句5月28日号 小津夜景インタビュー「わたしは驢馬に乗って本をうりにゆきたい」掲載。
7月15日(土)下北沢の本屋B&Bにてトーク&ライブ「フラスコワークの実験室」開催。
俳句7月号 作品10句「艢に舳に」寄稿。
週刊俳句7月30日号 追悼・金原まさ子「反人生的領土」寄稿。
俳壇8月号 作品7句「空気のしくみ」寄稿。
ふらんす堂通信153号 作品10句「共寝の時間」とエッセイ「虹の脊柱」寄稿。
スピカ 野口る理「ほどける冠」にて小津夜景インタビュー掲載(前編後編
日本経済新聞(8月16日付)インタビュー「俳句は言語をつかったアート
アンソロジー『天の川銀河発電所』刊行(佐藤文香編、左右社)
俳句9月号 エッセイ「虹自身時間はありと思ひけり」寄稿。
詩客短歌時評 作品評「ガリガリ君と、夏の思い出」寄稿。
週刊俳句8月27日号 作品評「ふたりの幻術師」寄稿。
スピカ 月間日記「かたちと暮らす」連載。(9月1日〜30日)
週刊俳句9月3日号、10日号、17日号 竹岡一郎×関悦史×小津夜景「超ひまつぶし鼎談」掲載(第1回第2回第3回)。
朝日新聞夕刊(9月13日付)ズーム「俳人・小津夜景さん 俳句は回路、外の世界と自分をつなぐ
『静かな場所』19号 作品15句「虹の音字機」と一句鑑賞寄稿。
週刊俳句10月8日号 小津夜景インタビュー「海鳥ダイアリー」掲載。
川柳スパイラル創刊号 小津夜景インタビュー掲載。