2017-05-14

福田若之「有馬朗人に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」について思ったこと。


福田さんの記事本文はこちら

これを読んで思ったのは「ん? だったらネットで有志を募って、さっさと四協会に公開質問状出しちゃいなよ♡」ってこと。

(本当は俳句の定義づけの方法や、福田さん自身の反対の論拠などにも大いに思うところがあったのですが、この件の核心部分について私に論じる資格があるとは到底思えないので今回はパス)。

だってね、あえて無所属でいるとか(例えば四ッ谷龍のこのツイート)、他人と群れない(個人誌を継続している)というのは全くもってクリアな信条的行動なわけでしょう? なのにそういった人間に対し「この問題に関して言葉少なにつぶやくだけで済ませてしまっている」としか感じないというのは、うーん、一体なにをどうしたいのか。そもそも現状を懸念するのであれば、この問題の実態をつくりあげている四協会(有馬朗人ではなく。念の為)をストレートに批判するのが合理的なんだから、そっちを向いてさくさく遠慮せずやればいい。

あとね、文章が良くないです。とくに政治の話をするとき、青年の主張的口上を採るのは今すぐ止めたほうがいい。

僕にとっては、それこそが俳句の魅力なのだ。だから、僕は、その魅力を俳句からまるごと剝脱しようとする動きに対しては、そのつど、僕自身の意志によって、強く反対の意を示さざるをえない。/それでは無形文化遺産として到底認めることができないというのなら、無形文化遺産なんて、こちらから願い下げだ。
こういった、傷つきやすさをほのかに煌めかせた文体は、政治的には笑われておしまい。わたしは笑う気持ちにならないですけれど、その敗北主義的ロマンチシズムに「うーん、ビラ申もデモ申も出さずに街頭に飛び出して、即行で警察に引っ張られそうな雰囲気…」と不安にはなります。

福田さんの抗議の指標とするところが状況の変革であるならば、その言葉は相手が思わず襟を正すような知力ないし胆力を感じさせるものであってほしい。が、これでは相手が気を引き締めないのは明白。あまりに等身大の〈僕〉が好んで演出されているから。

もしそうでないなら、ひとりひとりがもっと多くの言葉を費やしていくしかないはずだ。
締めがこの一文というのもアウト。周囲に対して有害な、ひどい学級会臭がある。去勢の匂い、と言ってもいい。

今回の件は典型的な理念闘争に属するもの。本当に問題提起する気があるのなら、はじめに書いたように人を組織して、公開質問状を出すのが適案だと思います。運動というのは単発的、ゲリラ的なものでいいんです。というか、現実問題として運動は継続できるものではない(続けている人もいるじゃん、と福田さんは思うかもしれないけれど、そういう人は状況を読みながら「理念闘争」を「要求闘争」へとそのつど巧みに次元転換しているのです)。

大事なのは構えずに、あっさりと、気軽にやること(考えるのももちろん大事だけど、それは言われなくてもするだろうし)。どんなに深刻なときでも軽やかさを見失わない気迫(オーラ)こそが、言論の現場に光を運んでくるんですよ。


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