2017-05-29

エジプトハゲワシと葦と、ロールパン。





近所にある市民大学はかなり専門性の高い公開授業をやっていて、カリキュラムも凝っているのですが、その中の人気授業のひとつにヒエログリフがあるらしいです。ヒエログリフはなかなか面白い言語のようで、わたしの周囲にも何年も授業に通っている人がいます(博物館や美術館に行って、古代の石と対面したときの感動が凄いみたい)。

この文字、鳥の図案がいいですよね。一筆書きの安定感があって。

画像は「海の民」という意味。「海の民」は紀元前1200年前後に突如として海から現れ、たった数年間で複数の古代文明を壊滅・終焉へと陥れたのち、再び海の彼方へに消えた系統未詳の民族を指す概念なのだそう。

で、こちらが海の民との海戦シーンの抜粋。こういうのを見ると、じぶんもちょっと齧ってみたくなります。

青鷺の一筆書きのあそびかた  小津夜景

2017-05-27

行商生活(←こんな雑誌があったら一度は買うかも)


蝙蝠を連れブラジャーを売りにゆく  西原天気

最新号の週刊俳句に、わたしの〈行商生活〉に関するインタビュー記事が出ています。聞き手の西原天気さんが逍遥感覚を重視する人物なだけあって「ん。こんなもんでいいでしょう」と、とても軽くコンパクトに纏まりました。

でもこの話題、本当に需要があるのでしょうか。実感が湧きません(特に変わっていると思わないので)。

あ、そうだ。ええと、きのうのトーク&ライヴの宣伝記事に、あのゾンビ俳句のライアン・マコム氏の動画を貼ろうとおもっていたのですが、気がついたら金魚になっていました。ついうっかりして。はは。夏だから頭ユルいです。ケルアック然り、朗読とサックスって相性良いですよね。

2017-05-26

トーク&ライヴのおしらせ


まだずいぶんと先の話ですが、関悦史さんの「悦子の部屋」に出演することになりました(詳細はこちら)。内容はお互いの著作の話、小津の来歴や作句法などについてのインタビュー、そしてミニライブとなります。

個人的には、ライブがとても、たのしみです。

2017-05-23

俳句の普及についての一形態





今日、堀田季何さんのツイッターで、フランスの文学自動販売機に関するこんなリツイート記事を見たのですが、そこで呟かれている情報がずいぶん古いもの(「この販売機はグルノーブルで試験的に8台が稼働中」とか。いえいえ、全国にあります)だったのでちょっと宣伝。

実はわたし、これについて【みみず・ぶっくすBOOKS】の第13回で「文学無料配布マシンと俳句コンテスト」という記事を書いたことがあります。このマシンを運営しているShort Editionは、自社サイトで短編小説や短詩系作品を日常的に募集しており、誰でも投稿することができるんですね。ちなみに短詩の募集ジャンルはアレクサンドラン、俳句&短歌、スラム、ソネット、寓話詩、散文詩、歌詞、自由詩、8ないし10音節詩行、の計9つ。

実際にサイト内を散策すると分かる通り、たいへんシンプルかつスタイリッシュな「広場」です。

各投稿作品には♡ボタンがついていて、人気のある作品はShort Editionの月刊誌に載ったり、配布機に入ったり、書籍になったりするといった仕組みも楽しい。でもそれよりもっと嬉しいのは、このサイトのトップページにいつも季節の俳句コンテストの募集広告が出ていて、そのデザインがかわいいこと。日本の俳句協会も真似したらいいのにって思うくらい。

2017-05-22

旗をはこぶカモメ





ル・アーヴル市が発行している広報誌。カモメが表紙の号なので、大切にとってあります。

ところでこの絵、何を描いているのかというと、フランス軍の待っているル・アーヴルの丘陵に、母国の旗を死守したベルギー政府が避難しに来るところです。1914年にドイツ軍に占領されたベルギーは、軍隊を母国に残して政府をル・アーヴルに移したんですね。

そういうわけで第一次世界大戦中は、下の地図のサン=タドレッスと書かれた場所がベルギーの首都でした。散歩に良い、これといって何もない丘です。

・関連記事
浮き橋の向こうには(ニースと戦争)
第一次大戦中のベルギーの葉書(ベルギー政府の避難先サン=タドレスについて)

2017-05-19

きょうごめん行けないんだ




まだ開いていない本。なんど見てもタイトルが素敵。布団の上でごろごろしながら読みたい。

昔、書いた文章「セックスと森と、カール・マルクス。」(柳本々々を読む)

2017-05-18

文章の構成はむずかしい。



先日の福田若之さんの記事を読んで書いたこの日記、アップしてたった数日間で4桁近い直接訪問(!)があって仰天しています。「俳句業界ってこんなに人がいたんだ!」って感じ。みなさん、どうやって日記の内容に気がつくのでしょうか(これは今回にかぎらずいつも思うこと)。ツイッターだけじゃそんなに情報が回るものでもないだろうし、仲間同士メールで、なにか、そういったことを共有してるのでしょうか…。

それはそうと、らんぼうさんと大江進さんという方が福田さんの記事にコメントしていたので、わたしも少し書いてきました。で、その中で「マニフェストのフォーマット」という表現を使ったのですが、実はこれ「うーん、フォーマット以前の問題かも…」と悩みながら書いたんですよね。というのも、わたしは福田さんの文章を「まずもって構成が良くないんだよなあ」と思っているから。

あの構成の難点はですね「僕は…強く反対の意を示さざるをえない」と意見表明したところで終わっていたらよいものを、そこからいきなり「それにしても…」と追い書きして、他人の言動を評定しはじめちゃうところ。

有馬朗人氏に対して物言う文章に、そんなオマケ要らないでしょ?と。

しかもラストの一番印象に残るところにそれを持ってくるセンスも謎。 名前を挙げられた人たちは、さぞかしたまげたことでしょう。自分の意見を書いたせいでかえって懸念されちゃったわけですから。しかも「僕にはそのことが有馬氏の発言にもまして不穏なことに感じられる」とまで評されて。こういう問題は、なによりも連帯の精神が大切なのに。

と、こんなレベルの話を書くのはどうかとも思うんですけど、らんぼうさんにコメントしつつ、あらためて思ったので、メモ書きしておくことに。

2017-05-17

新着ポスター





イタリアの教室からいっぱい貰った手づくり拳譜。かなり巨大。これ、どうしろってゆうの? オルグに使うの?

こういうのを壁に貼ると、たちまち部屋が漢方医のインチキ診療所っぽくなります。それも悪くないのですけれど、本音のところ静かな部屋が好きなので、丸めてとっておくしかないかもです。

仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音  夜景

2017-05-15

「受賞者の言葉」余話



こちらに今年の田中裕明賞の各種コメントが出ています。

今回出したコメントでは、わたしを助けて下さった方全員にお礼を申し上げることができませんでした。なので、こちらに余話としてつづきを。

・福田若之さん。じっさいの作業にあたって誰に助けてほしいかと考えた時、まっさきに頭に浮かんだのが福田さんの名前でした。批判能力と率直さとの点から言って、彼以上の人はいないだろうと。それでふらんす堂との打ち合わせに同席をお願いし、また完全にメモ状態の恥ずかしい草案を2度見ていただきました。直接意見がききたくて、国際電話もかけたりして(真夜中にごめんね)。福田さんは吹き出さずに見てくださったんですけど、相当ひどい状態だったんです草案は。でも包み隠さず裸になったことで、俳句のことを初歩からご教示いただく機会に恵まれました。

・柳本々々さん。柳本さんにも草案を見ていただきました。神保町の喫茶店で本のタイトルが決まった瞬間のことは今も忘れません。

・関悦史さん。関さんにはメールで総体的なコメントを。一番むずかしかった第2部の構成が固まったのは関さんのお陰です。

・鴇田智哉さん。上の三人はですね、二年前に数時間ご一緒し、それなりに会話もした方々なんです。でも鴇田さんとは、ほんと、一度同じ空間にいたことがあるだけで、言葉を交わしたことがなかった。それなのに昨年東京に滞在した折、とある飲み会でそっと彼に近づいて「あの。おそれいりますが、わたしの俳句を読んでもらえませんか?」とお願いしたんですよ。いきなり。たぶん相当びっくりしたんではないでしょうか。ええ。でも願い叶って句の添削(というのかな?)を体験することができました。凄くどきどきしますね、あれ。うーんよかった(←思い出して、じーんとしている)。ついでに帯も書いてくださいって言ってみたら、OKもらっちゃった。なんでも言ってみるものです。

以上です。ありがとうございました。

2017-05-14

福田若之「有馬朗人に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」について思ったこと。



福田さんの記事本文はこちら

これを読んで思ったのは「ん? だったらネットで有志を募って、さっさと四協会に公開質問状出しちゃいなよ♡」ってこと。

(本当は俳句の定義づけの方法や、福田さん自身の反対の論拠などにも大いに思うところがあったのですが、この件の核心部分について私に論じる資格があるとは到底思えないので今回はパス)。

だってね、あえて無所属でいるとか(例えば四ッ谷龍のこのツイート)、他人と群れない(個人誌を継続している)というのは全くもってクリアな信条的行動なわけでしょう? なのにそういった人間に対し「この問題に関して言葉少なにつぶやくだけで済ませてしまっている」としか感じないというのは、うーん、一体なにをどうしたいのか。そもそも現状を懸念するのであれば、この問題の実態をつくりあげている四協会(有馬朗人ではなく。念の為)をストレートに批判するのが合理的なんだから、そっちを向いてさくさく遠慮せずやればいい。

あとね、文章が良くないです。とくに政治の話をするとき、青年の主張的口上を採るのは今すぐ止めたほうがいい。
僕にとっては、それこそが俳句の魅力なのだ。だから、僕は、その魅力を俳句からまるごと剝脱しようとする動きに対しては、そのつど、僕自身の意志によって、強く反対の意を示さざるをえない。/それでは無形文化遺産として到底認めることができないというのなら、無形文化遺産なんて、こちらから願い下げだ。

こういった、傷つきやすさをほのかに煌めかせた文体は、政治的には笑われておしまい。わたしは笑う気持ちにならないですけれど、その敗北主義的ロマンチシズムに「うーん、ビラ申もデモ申も出さずに街頭に飛び出して、即行で警察に引っ張られそうな雰囲気…」と不安にはなります。

福田さんの抗議の指標とするところが状況の変革であるならば、その言葉は相手が思わず襟を正すような知力ないし胆力を感じさせるものであってほしい。が、これでは相手が気を引き締めないのは明白。あまりに等身大の〈僕〉が好んで演出されているから。

もしそうでないなら、ひとりひとりがもっと多くの言葉を費やしていくしかないはずだ。

締めがこの一文というのもアウト。周囲に対して有害な、ひどい学級会臭がある。去勢の匂い、と言ってもいい。

今回の件は典型的な理念闘争に属するもの。本当に問題提起する気があるのなら、はじめに書いたように人を組織して、公開質問状を出すのが適案だと思います。運動というのは単発的、ゲリラ的なものでいいんです。というか、現実問題として運動は継続できるものではない(続けている人もいるじゃん、と福田さんは思うかもしれないけれど、そういう人は状況を読みながら「理念闘争」を「要求闘争」へとそのつど巧みに次元転換しているのです)。

大事なのは構えずに、あっさりと、気軽にやること(考えるのももちろん大事だけど、それは言われなくてもするだろうし)。どんなに深刻なときでも軽やかさを見失わない気迫(オーラ)こそが、言論の現場に光を運んでくるんですよ。

・関連記事(時系列に並んでいます)
小津夜景 文章の構成はむずかしい(この日記のつづきです)
西原天気 俳句の無形文化遺産登録にまつわる福田記事の良いところ
福田若之 滑って転んじゃった話
西原天気 続篇が本篇よりも長大かつ面白いという倒錯 福田若之のオモテとウラ

2017-05-07

2017-05-04

たまの、インフォ。



⚫︎週刊俳句の好評シリーズ【俳苑叢刊を読む】の第14回を担当しました。内容は岩田潔『東風の枝』にかんするエッセイ。岩田潔、ほんと読みやすいです。画集を眺めている感じで。

⚫︎文学フリマ@東京にふらんす堂(F-45)と週刊俳句(G-18)が出店します(カッコ内はブース番号)。

開催 5月7日(日)11時〜17時
会場 東京流通センター第二展示場
アクセス 東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分。
週刊俳句のブースではフラカン(サイン入り)の他『蒸しプリン会議』の緊急出版も。B7判8頁の小さな冊子で頒価100円。執筆陣は太田うさぎ、岡野泰輔、荻原裕幸、小津夜景、西原天気、鴇田智哉。

⚫︎福島県いわき市にてリードブックスさんの参加するイベントがつづきます。どうぞ散歩がてらに。

5月14日(日)11時〜16時 三町目ジャンボリー@平三町目
6月04日(日)10時〜17時 シオカゼマルシェ@小名浜リスポ
6月11日(日)11時〜16時 街なか一箱古本市@坂本紙店前広場(雨天時は同店2階ホール)

2017-05-03

カモメの住居観についての一考察





ええ、そうらしいのです(といきなり語り出す)。昔住んでいたノルマンディーの海岸にはとても良い断崖があり、カモメ一家はそこを団地にして子育てをしていました。このような断崖です。


いっぽう今住んでいる町は、丘の上から眺めるとこんな感じになります。


この海沿いのアパート群、どことなく断崖に似ていると思われませんか?

ここはカモメたちにとってそう良い環境とは言えないでしょうが、それでもこの三次元空間のフォルムには、彼らなりに何かぐっとくるものがあるのかもしれない、と想像したりもするのです。

関連日記 / カモメの駆除法

2017-05-01

浮き橋の向こうには





メーデーの朝。もう夏色です。


白い浮き橋の向こうには、昔カジノがありました。それが1944年にナチスが攻めてきた際、お、鉄骨があるじゃん、と解体されてしまったそう。地元紙ニース・マタンの記事によると、こんな建物。


一度この写真を知ってしまうと、浮き橋の横を通りすぎるたび、カジノが視えてしまいます。写真と記憶のあやしい関係。