2017-09-01


● 句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)が刊行されました。
● 主な取扱書店をリストにしました。
● 近くに取扱書店がない方のために、内容を詳しい写真つきでご紹介します。 ≫ 書影&書店のリストを見る

2017-06-22

りんごの剝き方


結婚して半年ほど経ったころ、同居人がわたしの剝いたりんごを食べながらとても嫌そうな表情で、

「あのさ、なんで君のりんごの剝き方ってこんなに雑なの? かならず毎回、変な剝き残しがあるんだけど?」

と不満を述べたことが、ありました。

言われた方は大驚愕。というのも、こっちは同居人のために心を込めて、りんごの表面にわざといくばくかの皮を残していたのですから。それで思わず「うそ! このりんごの素敵さ、ほんとにわからないの?」としばし押し問答してしまうはめに。


それにしても、何故こんな奇癖が当時の自分にあったのかと言いますと、その原因は明白で、幼少のころ、母がわたしのために果物を剝いてくれるとき、

「ほら見て。おかあさんの果物の剝き方。セザンヌのタッチみたいに綺麗でしょう?」

と言いながら、いつも少しだけ皮のついた状態でじかに手渡してくれていたからです。そのせいでわたしは、果物を美しく剝くときは、幾筋かの皮をすっと残して、木彫さながらに〈刃物の感触〉や〈素材の質感〉を演出するべきものと信じ込んでいたのでした。


ちなみにこの話、オチはありません。偶然きのう思い出したことを書いてみただけ。唐突でごめんなさい。

あ。

ええと、うちの同居人は、わたしが勤め人だったころは毎朝お弁当をもたせてくれた程度にまめに料理をする人です。りんごの皮くらい自分で剥けよ!と思われたら相棒だけに不憫なので、付記。

2017-06-21

そうだそうですその通り。


ゆうべは諸事情あって「男とは、つまりなんなのか?」といった案件について一人であれこれ思索を深めていました。

これ、いままで一度も考えたことのない、つまり自分にとって全く興味のない議題なんですけど、とりあえずマルクス主義的フェミあたりから出発して、ラジカルフェミや本質主義を経由し、昨今のジェンダー論界隈へ至る回路を3周ほどくるくる回って辿り着いた結論は、ええと、青島幸男と萩原哲章の二人は紛れもなく天才だってことです。はい。

♣️参考 アンサイクロペディア「男の中の男

2017-06-18

初体験。


近所の商店街で、ついにマイタイデビューしました。暑さに耐えかねて。炎天下だと、あっという間に酔っちゃいますねこれ。

2017-06-17

欲望という名の電車・山宣版


山本宣治『闘争録』には「電車生物学」なる題の70ページほどの付録がついています。これにはメタファーではない実際の電車のことが書かれていまして、

今の世の中に世知辛い電車の中には、腰掛を占領して居て割に楽な思ひをして居る連中と、吊革にぶらさがつて店先に吊るされた塩鮭のやうな窮屈を味はふ事を余儀無くされて居る連中が、現在我等の眼前に居る。云ひかへれば、「現代社会」と云ふ電車の中に「腰掛階級」と「吊革階級」とが存在する事は、どんな人でも否定の出来ぬ事実である。(電車内の階級闘争)
と本題を起こし、電車内の光景をつぎつぎと面白おかしく書き出してゆくさまは、宮武外骨なんかと全く同じ系統のノリです。こういった感じ、当時のジャーナリズムの流行りだったんでしょうか?

ただ外骨と比べると、山宣はずいぶんおっとりしている。あと、外骨ほどアイロニカルじゃない。というか、正直いくぶん抜けて見えます。興味のあることだけが、頭を占めている感じで。基本、夢想家なんですね。きっと。

2017-06-16

明るく自由な人


中学生の頃、父の本棚に山村暮鳥の『聖三稜玻璃』『風は草木にささやいた』『雲』を見つけたときの衝撃は今でも覚えています。好きだったのは「おなじく」というタイトルが面白い『雲』で、多く考えさせられたのはウルトラシュールな『聖三稜玻璃』。

当時これを読んで思ったのが「前衛って、もしかして、もしかして、やりつくされてる?」ってこと。

そののち、萩原恭次郎『死刑宣告』の「広告灯!」を知ってからは、この手の作風をいわゆる「新しさ」と関連させて読む気持ちが完全に失せてしまうことに。

で、ここから本題。

『死刑宣告』は完成度の高い詩集ですが、わたしにとって長らくこの詩集のもつ意味はそこではなく、1925年という年に出版されたことにありました。というのも、この詩集を見ると、治安維持法のことが思い出され、治安維持法が思い出されると、この法律の強行採決による改正がなされた日の夜に殺された山本宣治を思い出すからです。わたしは山宣の、明るく自由なところが好きなのでした。

2017-06-15

一人の時間の過ごし方




先日の週刊俳句でのインタビューの話。

あの中に「この本は田舎の女の子に触ってみてほしい」との発言がある。あれはインタビューで語った通り、自分の読書(眺書?)遍歴を追憶しての、単純でたわいのない思い入れ、いわば錯覚だ。

当然のことながら〈かつての私〉はもう何処にも存在しない。にもかかわらず〈かつての私〉の存在を無視することが、私にはできない。

たとえ今現在、目の前に〈かつての私〉よりも大切な人がいて、その人のことを想いつつ言葉を選んでいるような時でさえも。

李白が月を向きながら、おのれの影とおのれとの間で酒を酌み交わしたように、わたしは海を歩きながら、水面に朦朧とするかつての自分と、いまの自分との間で、あの本を書いた。

そしてまた、別に何かを書いたりしない場合でも、それが私によくある、一人の時間の過ごし方なのだった。

2017-06-13

絵本のある風景(2)


http://www.dailies.co.jp/category/blog/page/2/

よもぎBOOKSは三鷹のインテリアショップ「デイリーズ」の隣にある、開店してまだ3ヶ月の絵本屋さん。山梨県にあるギャラリーカフェ「ナノリウム」にも小さな棚を間借りして本を売っているそうです。

品揃えについて、お店のご主人は「うちはセレクトショップではありません」と仰るものの、はたから眺めていると相当こだわりが感じられます。またWEBショップを覗くと、大人の本がものすごく充実していますが、実店舗にはよその本屋さんによる「出張本屋」の棚もあり、さらに活気のある雰囲気です。