2018-10-01


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2018-04-24

グリオの句集(1)



『川柳スパイラル2』をめくっていたら、こんな作品がありました。

○×の×が正しい○である  津田暹

ここから思い出したのがジャン=マリー・グリオ『俳句カウンター便り』の、

I have a dream
I dream I have
I have

僕が在る夢を見ている僕である

という作品。この句集は装幀がおもしろいので、参考写真を多めにアップしてみます。



表紙についている栞をはずすと、こう。緑色の部分はエンボス加工で葉脈が表現されています。


表紙の折り返し部分を伸ばすと、こう。表紙内側は緑色。


散文と俳句とを組み合わせた序章。クール。このレイアウトだと、どんな俳句を持ってこようと散文の流れを中断させずに、両者を呼応させることができそうです。機会があれば真似しよう。


作品を区切っている図案もよつ葉のクローバー。ハッピー。しかしながら、収録作にはデカダン&アルコールの句がたいそう多かったりします。グリオの物書きとしてのキャリアは『シャルリー・エブド』前身の『ハラキリ』編集長だったことに始まりますので、フランス人はこの〈幸福〉な造本に対してある種の〈含み〉を感じるに違いありません。

2018-04-23

郵便制度の鳥



新潟の喜怒哀楽書房が発行している「喜怒哀楽」の4-5月号に、第2回目のリレーエッセイを寄稿しています。タイトルは「ふしぎな奥義」。このブログを始めた経緯について書きました。こちらからダウンロードできます。

『川柳スパイラル2』をめくったら我妻俊樹の名がありました。我妻俊樹をはじめて知ったのは歌葉新人賞。あの賞では雪舟えま、謎彦、宇都宮敦、フラワーしげる、斉藤斎藤、笹井宏之、永井祐ほか、おもしろい歌人をいっぱい知ったけれど、我妻さんもその一人。川柳では、こんなのが好き。

かっこいい貝殻のある人生だ
少しずつ思い出してる右の県
殴られるまで五月だとわからない
無はいいな信号待ちのタンクローリー
間からカモメを見せてむすめたち
泣けないな地べたに夜と書かれても

こういった作品を読んだあとに、この方の、

「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている

といった詠風を眺めると、ずいぶん川柳的なもののように感じられたりもします。そんなわけで『川柳スパイラル2』からも一句。とっても短歌的なのだけれど、でも川柳にしてベターだったと言えるような仕上がり。

郵便制度のあんなところにも鳥が

2018-04-10

週末散歩



週末、近郊の田舎に出かける。散歩がてらワイン品評会をのぞく。あれこれ試飲しつつ、初めて出会ったSaint Siffrein()と、いつも飲んでいるChateau du Breuil()を10本購入。徒歩なので重い。

チーズ屋さん、お菓子屋さん、サンドイッチ屋さんも出店していた。画像は鴨肉とフォアグラのサンドイッチで900円。街中ではありえない低価格設定です。

2018-04-09

垣をこぼるゝ花の我家で。



ハワイの日系人はアメリカの中でも特殊な存在で、抑留対象となったのは日系人社会の中心的人物のみ。理由は、農業・実業・知的職業などあらゆる方面において日系人を排除しては社会がもはや成り立たなかったのと、戦争中に15万もの一般人をアメリカ本国へ移送する船を調達するのが不可能だったことなどのようです。

古屋翠渓は富士家具商会という店を経営しつつ、日系人社会の中心的役割を担っていたので、連行は日米開戦後すぐのことでした。

戦争になったのかもう私を捕へに来た  古谷翠渓
ラジオが鳴りつめる戦争とはこうしたものか
キアベの茂る中銃剣にかこまれて行く
暗い中の声が知人の声で監禁されている
キャンプが月夜ではだかにされて並んでいる
捕えられてからのキャンプの月が満月になる

鉄窓にのびあがりのびあがり見る妻も捕はれ来てゐると聞き

最後は短歌。翠渓は歌人としても活動していたので、また機会があればこれについても書きたいです。抑留中は口をひらけばハワイに帰りたいなあとみんなで言い合っていたそうで、戦後、抑留生活を終えた翠渓はこんな作品を詠んでいます。

外の垣にも花の我家でご飯いたゞく  古谷翠渓

うーん。ほんとに佳い句を詠むなあ。この人の作品は、自由律という韻律の、とても素敵な呼吸法を教えてくれる。

2018-04-08

花は終わり、もう葉桜の季節。


●週刊俳句第572号のハイク・フムフム・ハワイアンは「続・荻原井泉水とハワイ」。前回にひきつづき、井泉水とハワイとの関係について書いています。さいきんの日記で引用した古屋翠渓の「ガデュア」と「ペパーの木」の句は、このときの句会に出されたものでした。

●『未明』第2巻に作品を寄稿しています。4月25日刊行です。

2018-04-06

『ポピイ句集』



戦時中はアメリカ各地の強制収容所で俳句の会が生まれ、また句集が刊行されました。古屋翠渓もトパーズ収容所()時代、自由律俳句会「ホピイ之会」の『ポピイ句集』に参加しています。

他の収容所で作られた句集はすべて有季定型なので、この会は翠渓が中心となって生まれたのかと想像しましたが、なんと違いました(経緯についてはまた今度書きます)。奥付は1945年1月。一人につき見開き2頁。


松野宝樹は、「巻頭言」で、タンフォーラン仮収容所からトパーズ収容所へ移されてから3年と記している。宝樹は、さらに、「砂漠であろうが貧土であろうが住めば住めるし人の生活のある所に芸術が生れる」と断言し、「[生命の]根強さには頭の下がる尊厳なものがある。その尊厳を代表すると言ふのではないが、この砂漠の中から生れた我々のささやかな句集、この中にも生活のオアシスと熱沙をわたる涼風位は感じて貰へるであろうと思ふ」と期待を表明し、「向上といふことを運命づけられた人間が高きものに、美なるものに向つて道を求めて行く、これも亦人間生命のたくましさであろう。その表れの一ツがこの句集であるといふことにはまちがいひはない」と句集を誇りとしている。一方、後記では(中略)この句集は、「此の且てないアブノーマルな生活を歌つた個々の作句を寄せて見たい念頭から本集は自選輯とした事である」とポピイ之会の方針を纏めている。(粂井輝子「アメリカ合衆国戦時強制収容所内俳句集覚書」)

上の論文に引かれた翠渓の句は次の4つだけ。すごく残念。全部読んでみたい。彼の句集の『流転』という書名は、どうやらこの『ポピイ句集』に掲載された連作タイトルに由来するっぽいです。


1941年12月
月が昇るらしい闇の監視室の鉄窓
天使島
憧れの加州に来たが囚れの身である
ウィスコンシン
大きな力にうちのめされ石を拾つてゐる
テネシイ
夏雲またも行先のわからない旅立ち

2018-04-05

民謡・涙のアロハオエ



戦前の日布時事文芸欄を眺めていて「へえ」と思うのが、俳句・短歌・川柳・都々逸・詩・小説・評論以外に、民謡の歌詞が掲載されること。本当に古い感じの歌詞、新民謡運動っぽい歌詞、「東京行進曲」風のモダンな歌詞などかなり幅がありまして、ここでは都々逸のリズムで書かれた民謡の歌詞を2篇引いてみます。

「砂山」  柳泉

取消しましよとも
言はないうちに
朝の白さに目がさめた

今もほのかに
残つてゐます
やさしい夢の足跡が

そつと抱いても
さらりと逃げて
マナの砂山しのび泣き

わたしが子供時代を過ごした場所も、海からの移流霧がしたたかな町だったので「朝の白さに目がさめた」感じというのはよくわかります。いつもそうなのに、なぜか朝が来るたび胸を衝かれるの。

「島の港」  山川草子

島の朝(あした)はそよ風小風
可愛かをりの花がさく
今朝の入船(いりふね)明日の出船(でふね)
レイに埋れた港ぐち

島の港のしぐるゝころは
マノア夜空に虹が浮く
今宵出船のテープに濡れて
やるせ涙のアロハオエ

そういえば「アロハオエ」ってどんな意味なのだろう?と思って調べてみましたら、英訳で「さらば汝よ Farewell to thee」、仏訳で「さようならあなた Adieu à toi」となっていました。なるほど、そうだったんですね…。知らずに聴いていました。サビの部分だけ訳してみます。

さようならあなた さようならあなた
夏の別荘に籠る美しいひと
出発の前に もういちどやさしい抱擁を
また会えるその時まで